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2011年1月 4日 (火)

むかし、をとこありけり

ちはやぶる 神代もきかず 龍田川 からくれなゐに 水くぐるとは

― 在原業平(古今和歌集・百人一首) ―

《神々がまだおわした神代の時代でさえ、こんな奇跡は聞いたことがないだろう。龍田川が舞い落ちた紅葉を浮かべて、鮮やかな唐紅の絞り染めになっているなんて》


いにしえの「飛鳥・奈良」の頃から「江戸幕末」の世までの1300年あまりで、「いちばんの美男子」って、誰だろう?

いわば「日本史の美男子選手権」。

そんなイベントを開催しようものなら、必ず選ばれる(というか外すわけにはいかない)人物に、「在原業平(ありわらのなりひら)」が挙げられます。

西暦800年代、平安時代前期の貴族で、冒頭の和歌(古今和歌集・百人一首)で知られる「六歌仙」の1人。

というわけで、新春一発目の歴史ネタは「平安時代」でやってみます。

「来年は源平・戦国・幕末・忠臣蔵以外の時代もネタにしたい」という、去年書いた抱負を早速達成です(笑)

ただ、ワタクシ日本史は大好物ですが、平安時代(と明治以降)が超苦手・・・・。

でも、何とか知っている所がいくつかあるので、そこをまず書いておいて、後日の道標・踏み台にしようという魂胆。

以下、理解や表現が稚拙なところがありますけど、どうぞご容赦クダサイ。


在原業平。正式には、在原朝臣業平(ありわらの・あそん・なりひら)。

彼は、泣くよウグイスの平安京遷都を行った「桓武天皇」の“ひ孫”に当たる、やんごとなきお血筋にあらせられます(母親が桓武天皇の娘なので、“孫”にも当たる)

しかし、お祖父サン(平城天皇)が起こした「薬子の変」に、お父サン(阿保親王)も連座して罰せられておりまして。

阿保親王の王子たちは、みんな「在原(ありわら)」の姓(かばね)を頂戴して、臣籍降下させられてしまいました。

その中の一人が、親王の第五子だった業平。

ゆえに彼は「親王(天皇の子孫)」でも「王(天皇の親戚)」でもなく、「朝臣(臣下の最高位)」という身分となったのでした。


彼の美しさは、「王統の貴公子だから」とか「歌の達人だから」という“いかにもな設定”をタネに、腐女子的妄想で膨らませたものではありません。

『三代実録』という官撰の歴史書にも書かれている、証明書つきの美男子なのです。

そこに書かれた表現は「体貌閑麗(たいぼうかんれい)」・・・・身のこなしが涼やかで、物静かで、風流で美しい、エレガント系美男子。

ただし「略無才覚 善作倭歌(勉強は出来ないけど、歌は上手い)」ともあるので、秀才タイプの美男子ではなかったみたいです。

彼の武勇伝は、その美しさと歌の才能で、時の権力者・藤原氏の、唯一の年頃の娘だった藤原高子(たかいこ)のハートをゲットすることから始まります。

唯一の年頃の娘ということは、「娘を天皇に嫁がせて、岳父となることで権力を握る」がお家芸だった藤原氏の、未来の繁栄のための至宝。

そんな藤原氏の娘を、業平はキズモノにしようとしているわけです・・・・なんせ、業平は臣籍降下している=皇族ではない=藤原氏の眼中にないのだから(!)

ヤバイと思ったのかどうか。世間に熱愛と密会が発覚すると、彼女の略奪を試みるという、「おいおい藤原氏に楯突くのかよ(汗)」という、ビックリな闖入話に発展。

しかし、おんぶして逃亡している途中で見つかって、取り返されてしまいました・・・・。

一説には、これがアダとなって降格人事を受け、東下りをするハメになった・・・・とまで言われていたり。


彼のアバンチュールは、これだけで終わりません。

伊勢神宮に仕えていた斎宮・恬子(やすこ)内親王がゾッコンになってしまった、なんてお話が続きます。

斎宮というのは、未婚の皇女から選ばれる人で、巫女というよりは神様のお嫁サン的役職。
もちろん異性交遊は絶対タブー。神様を裏切る不倫となる、おそろしい行為です。

でも、ダメだというのに、ある晩ひそかに訪ねて行って、業平と一緒に短い時間を過ごしてしまいます・・・・。

「あれは貴方が来たの?私が行ったの?夢だったの?本当だったの?」と問い掛ける(君や来し 我や行きけむ おもほえず 夢かうつつか 寝てかさめてか)、甘ったるい和歌が花を色添え。

風流な貴公子の色恋話ったって、ほどがあるでしょ・・・・と言いたくなるほどのアバンチュールです。

この2つのエピソードは、『伊勢物語』という書に「むかし、をとこ(男)ありけり」として書かれていて、「業平が」と名指しでは記載されていない話なのですが、当時の人たちは「業平の武勇伝」として語り継いでいたようです。

こんな香ばしい色恋の数々から、例の歴史書には「体貌閑麗」に続いて「放縦不拘(好き放題にやってのけた)」とまで評されたりしています。

ゲットした女は、お后候補に斎宮。

手の届かない高嶺に実った禁断の果実を、見事にもぎ取った在原業平。

彼こそは、絶世の美男子であると同時に、筋金入りの色好みだった・・・・と、言えるわけです。すご過ぎですなー。


ただ、業平を単純に「色好み」と決め付けるのは、少々過ぎたることだ・・・・とする見方がありまして。

それは、業平の和歌を読めば分かるんだとか。


 起きもせず 寝もせで夜を明かしては 春の物とて ながめくらしつ

《起きるでもなく、寝るでもなく、そんな夜を明かしては、春の長雨(ながめ)の風情のような心地よい気分に、貴方を思いながら過ごしました》

 月やあらぬ 春やむかしの春ならぬ わが身ひとつは もとの身にして

《この月は昔の月と違うのだろうか。この春は昔の春と違うのだろうか。我が身は昔のままなのに(、彼女だけがここにいない)》


彼の和歌には、大きな「やさしさ」が感じられる。和歌を理解できる教養のある女性が、「自分のことを歌っている」と思いながら聞いたら、とろけてしまうのではないか。

時と場合によって、その対象は代わっているにしても、歌っている対象への想いは本気。

そんな本気さ、彼の育ちの良さ、優しい人柄が、彼が読む和歌にはにじみ出ている。

・・・・という解釈。

ワタクシは文学の教養も感性もないので、フィーリングと理窟でしか感想が書けませんが(苦笑)

「やさしさ」「一途さ」「本気さ」は分かりませんが、「素直さ」はある・・・・かなぁ、という印象。

文学的に見ると「古今和歌集」以降の勅撰和歌には、「狙い過ぎ」という傾向があるんだそうで。

装飾を凝らす、婉曲にする、言葉遊びに走り過ぎる・・・・など技を凝らす特徴があって、例え恋の歌を聞いたとしても、「お上手だな」と思うことはあっても、心を揺り動かされる歌は、かなり少ないのです。

と、これはワタクシの分析ではなくて、明治の歌人・正岡子規の主張。

彼は、そんな「狙い過ぎ」な風潮がガマンならず、

「見ていないものや、思いもしないことを歌にするんじゃない!和歌は素直にやるものだ!和歌は『古今和歌集』以前に帰るべきだ!」

と、少々偏屈なスローガンをぶち立てたりしています(ちなみに、こうした批判が「月並み」の語源にもなったり)

ここから考えると、業平の和歌は「古今和歌集」ドンピシャの王朝和歌。

だけど、彼の和歌には、婉曲な部分があまり感じられないような気がします。

子規が好きだった「写生的」な感じが、なんとなくするのではなかろうか・・・・。

つまり、素直な和歌を歌っているのではと、ワタクシは思ったんですが、どうでしょうかね。(ワタクシは文学の知識はカラキシなので、見当違いだったらお許し頂きたい)

もしその通りなら、彼の「女好きの色男」という定評を、誤解してはいけないのかもしれません。

その時その時の女性を優しく恋し、そして別れた後もなお懐かしく思い起こして歌う・・・・。

恋に恋するあまり、次々に恋する女性を替えては捨てていく、漁色家とは違うのだと。

そんな「色好み」もいるのだ・・・・ということに、なりそうですかね。


まぁ、和歌から読み解くのはワタクシの守備範囲ではないので、紹介する程度に留めておくとして。

ワタクシが思うに、業平は破滅型の人間だったのではなかろうか。

彼の武勇伝は「深窓のお后候補を誘拐」と「神聖なる斎宮との密通」・・・・。

冷静に見ると、「数多くの女性と浮名を立てる」ではなく、「禁忌の愛に危険を賭して挑む」というタイプの「色好み」です。

彼の人生を振り返れば、祖父の罪に連座して皇族から外され、廟堂では圧倒的な権勢を誇る藤原氏の風下にいることを余儀なくされるなど、政治的な不遇に満ちています。

権力から疎外された、その代償として、「歌でも読まなきゃやってられるか!」と、和歌に逃避したのかな・・・・という感じ。

自滅を願うかのようなラブロマンスに身を投じた、その裏に、自分の運命への叛逆があったとしたら。

彼の歌が「女性への本気さ、彼の育ちの良さ、優しい人柄がにじみ出ている」ってのは、果たして本当なのかな?と、ついつい考えてしまいます。

彼の和歌の本質は、体制と運命に背を向けた、哀切さと痛切さではないのかな?
その風流が、本気さや、育ちの良さや、優しさに錯覚されるんじゃないのかな?

残念ながらワタクシには文学の素養がないので、そこまで検証できないのが残念なところ(^^;


在原業平。

彼は本気と冒険の情愛に彩られた色好みなのか?

懸想の風趣に生涯を蕩尽した悲劇の歌人なのか?

どっちにしても、彼こそが日本一の色好きであり、日本一の美男子(の有力候補)ではなかろうかとワタクシは思うのですが、どうでしょうかねー。


余談、その1。

在原業平の子孫は、かなりの猛将、そして末裔は、かなりの謀略家です。

戦国時代、関東管領(山内上杉)家の配下にして、「上州の黄斑(=虎)」と呼ばれ恐れられた箕輪城主「長野業正」が、子孫だとされています。

業平が関東へ下向した後、子孫が上野国に居着いたのが、その始まりなんだそうな。

その後、主家(山内上杉家)の衰退後に流れ流れて近江(滋賀県)に流れ着き、その子孫は幕末の赤鬼・井伊直弼の右腕的存在だった「長野主膳」にあたると、言われてます。

この辺の繋がりについては、よく分からないですが・・・・本当なのかなぁ??(^^;


余談、その2。

在原業平一代の絢爛豪華な色恋物語。

「伊勢物語」の記述は、果たして在原業平の実話なのかどうか?

通説では「年齢的に無理がある」として、これは史実ではないとされているようです。

業平は、恬子内親王の父親(文徳天皇)よりも年上で、しかも臣下。

お父サンより年上の部下・・・・未婚だった斎宮が、任務を放り投げてでも禁忌の逢瀬を果たすかどうかは、かなり疑問。

藤原氏待望の娘・高子にしても、もし出会っていたとしたら、高子18歳、業平34歳。

恋のために身分も家族も将来も投げ捨てるには、ちと年を取り過ぎていますし、年の差も開き過ぎております。

藤原高子とのエピソードは「“略奪愛”ではなく“藤原氏の出世を阻むための拉致”だったのでは」という解釈もあります(お后候補をキズモノにするわけですから)

確かに、業平は平安時代通して藤原氏のライバルだった紀氏の側についた人(奥サンが紀氏の出)ですし、仕えていた皇族(惟喬親王)が藤原氏に蹴落とされているなど、アンチになる状況証拠はあります。

でも、業平の最終官位は、従四位上近衛中将(頭中将)。

反藤原の急先鋒とするには、破格の厚遇。本心では藤原氏に好意を持っていなかったとしても、政治的に暗躍をしたのかどうか?は、とても疑問。

こうやって考えてみると、これらの話を真実だったとするには、結構アヤシイ(^^;

現実には業平ではないっぽい・・・・でも、断言はできない。

ワタクシとしては、危険な情事は美男子の経歴に箔がつくし、面白いから「アリでしょ」としたいのですが、それはオイタが過ぎますかねぇ・・・・。


余談、その3。

業平が略奪したという伝説を生んだ藤原高子は、史実では無事に清和天皇の正室に収まりました。

ただ、清和帝は結婚後に次々と側室を迎え入れ、続々と親王を誕生させています。

これらの王子たちが、後に武士の世を作る、清和源氏の祖先(頼光、八幡太郎義家、頼朝、九郎判官義経など)

藤原氏肝いりのお后がいながら、何故に側室と王子を次々に増やしたのだろう?

それは、妻と業平との(ウソかホントかはともかく噂になっていたらしい)スキャンダル話にムカついたのだ・・・・と考えるのは、さすがに飛び過ぎかな(^^;

清和源氏が後に武家政権への道筋を立て(義家)、やがて武家政権を樹立した(頼朝)と考えると、業平がおんぶして逃げた・・・・っていうのが、貴族の終わりの始まりだったのかな・・・・なんて妄想したくなってしまいますなぁw


余談、その4。

来年運営を開始する「東京スカイツリー」の最寄り駅は、「JR業平橋駅」

駅名に「業平」の名が入っているのは、業平が東下りした後、その付近で和歌を詠んだことにちなんでいるんだそうな。

 名にし負はば いざ言問はむ 都鳥 わが思ふ人は ありやなしやと

《都鳥よ。その都の名に負けじと答えておくれ。私の恋しいあの人は、今ごろ都で元気にしているのだろうか?》

そこで和歌を詠んだ人の名前が、地名になって、そして駅名になっているわけです。

しかし、「業平橋駅」が「東京スカイツリー駅」に名称変更される・・・・というニュースがありました。

なんと・・・・これも時代の波なんでしょうかねぇ。

「日本一高い塔の最寄り駅」の名前が「日本一の色男の名を冠している」。

こっちの方が歴史好きとしては、風情があっていいと思うのだけどなぁ・・・・残念無念。

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