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2011年3月10日 (木)

奈良仏師と最後の大将

古都・鎌倉に「教恩寺(きょうおんじ)」という寺があります。

知名度は低くて「鶴岡八幡宮」「建長寺」「東慶寺(駆け込み寺)」「円應寺(エンマ寺)」なんかには遠く及ばないし、ガイドブックにも載らないし、修学旅行で行くような名所でもありません。

「鎌倉三十三観音」の御朱印を頂戴するために行ったことある人は、もしかしたらおられるかもしれない。

そんな「知る人ぞ知る」巡礼スポット。

奥まった路地裏にひっそりとあるので、通り過ぎてしまいそうになる小さなお寺ですが、ここには平安時代から鎌倉時代に移る時に起きた事件の、華やかで悲劇の結末が眠っているのです。


12世紀の平安時代末期は、源氏と平家が争う「源平合戦」の時代。

源氏は「平治の乱」のどさくさで棟梁(義朝)を失うという痛手を喫して、しばらく充電期間(?)に入っておりましたが、もう一方の平氏は「平清盛」をリーダーとして、元気いっぱいの最盛期を極めておりました。

その清盛の五男が、「平重衡(たいらの・しげひら)」

武将として優秀で、彼が指揮した戦いは連戦連勝の負けなし。しかも「なめまかしくきよらか」と書かれるほどのイケメン(笑)

“常勝将軍”として、イマイチ頼りないリーダー(宗盛)を、同じく猛将として知られる兄(知盛)とともに支えた、名将コンビの1人です。


そんな彼の人生には、痛恨の出来事が2つありました。


1つ目は、「南都焼き討ち」。

「反平家」の気勢を上げる奈良・興福寺を、「源氏や反平家勢力と連携される前に叩いておこう」と清盛の判断が下り、平家軍が派遣されます。総大将は、重衡。

12月25日に京都を進発し、28日には決着がつくという、スピード解決。
さすが、名将の誉れ高い重衡の采配です。

“常勝将軍”の名に恥じず、勝つことには勝ったのですが、戦火が燃え広がって大火事に発展するというアクシデントが発生。

「興福寺」は、三十八の堂舎が被災し、数え切れないほどの貴重な仏像や経典が焼亡。
お隣の「東大寺」も、正倉院と転害門などのいくつかの建築物以外の大半の伽藍が焼失。
金堂(大仏殿)も炎上し、大仏までもが大ダメージを受けてしまいます。

修業や留学で寝泊りしていた僧侶や、奈良の住民など、非戦闘員も含めておびただしい焼死者が出て、大惨事になってしまったのでした。


なんだか戦国時代にも聞いたことがあるような話ですが(笑)、重衡がどこまで狙ってやったのかは不明。

ただ、『平家物語』では、浄土宗の開祖・法然と会うシーンがありまして、そこでは「罪業は須弥よりも高く、善業は微塵ばかりも蓄へなし」と懺悔のような言葉を吐いているので、後悔はしていたみたいです。

ちなみに、清盛はこの後しばらくしてから亡くなっており、その死因は「焼けるような熱病にうなされて」と表現されて「大仏殿を焼いた仏罰だ!」と噂されました。

しかし、もう一方の当事者である重衡はピンピンしていて、この後も「墨俣の戦い(vs源行家)」や「水島の戦い(vs木曽義仲)」と、連戦連勝で白星を増やしていきます。
仏罰とやらは、何処へいったんでしょうかね・・・・?(^^;


2つ目の痛恨は、“平家滅びの序曲”「一の谷の戦い」

平家が次々に死んでいくこの戦いで、重衡も奇襲を食らって大敗。
馬を射られたところを生け捕りにされてしまいます。

さしもの“常勝将軍”も“天才戦術家”源義経には勝てなかった・・・・という、歴史の神様の気まぐれ。
重衡は初めて源氏に負けたこの時、平家の中で「捕虜第一号」になってしまったのでした。

ここで重衡を失ったのは、平家にとって痛い。
もし逃れていたなら、戦略的ターニングポイントとなった「屋島の戦い」や、最後の決戦「壇ノ浦の戦い」は、どんな結末になっていたでしょうかねぇ・・・・。
(それでもやはり、チートじみた義経には勝てなかったんでしょうか・・・・?)


捕虜となってしまった重衡は、「三種の神器と引き換えの人質」として外交カードにされるのですが、宗盛が「源氏と平家を平等に遇してくれるなら」と無理難題を求めたために交渉決裂。

京都で身柄を拘留された後、「壇ノ浦」で平家が滅ぶと、源氏の本拠・鎌倉に移送され、頼朝と面会するという運命をたどります。

頼朝「捕虜となったのを、恥ずかしく思わないかね?」
重衡「武門の家に生まれた以上、敵の手にかかるのは覚悟の上のこと。首を打たれようとも恥ではない」

頼朝は、この毅然とした態度に感服(ちなみに、頼朝の方が10歳年上)

家来の狩野介宗茂(かりゅうのすけ・むねもち)の家に預け、捕虜としては格別な待遇でもてなしました。


やがて、重衡は京へ連行されます。

重衡を不倶戴天の敵とする南都の僧侶たちが「俺たちの手で処刑する!」と、身柄の引渡しを要求したためでした。

途中、木津川のほとりで、処刑。享年29。

首は奈良坂で晒され、平家の最後の大将は、儚く散っていったのでした。


この鎌倉に留めおかれた時、重衡の態度に好意を持った頼朝が「せめてもの慰めに」と、重衡に「阿弥陀三尊像」を与えたと言われておりまして。

その仏像が、冒頭に紹介した鎌倉「教恩寺」の本尊として、今に伝えられているのです。

ワタクシも、鎌倉を旅した時に拝観しましたが、すごくきらびやかなバックに、黒い像容が映えておりました。

目が細くて、でも眼光鋭い。やさしそうでもあり、頼り甲斐がありそうでもあり・・・・。

脇侍の観音菩薩と勢至菩薩は、かなりキュートな感じがしました(膝の曲げ方とかが)

まぁ、「源氏と平家にゆかりある仏像」・・・・という先入観を、惜しげもなく出しまくって見てきた感想なので、参考にならないかもしれませんが(笑)

重衡が「大仏を焼いた大罪人ではあるが、どうか往生させて欲しい」と祈ると、3回うなずいたと言われています。


今日3月10日は、重衡が鎌倉に移送された日。

というわけでネタにしてみたんですが、もうひとつ。

昨日たまたま『歴史秘話ヒストリア』を見たら、運慶が紹介されておりまして。
この「教恩寺・阿弥陀三尊像」も運慶作と言われているので、ついつい思い出してしまったのもあります。
(「ヒストリア」にはちらりとも登場しませんでしたが)

運慶といえば、南都再興で腕を振るった「奈良仏師」として有名。

再興しなければならないほど灰燼に帰した張本人・重衡に、自分が作った仏像が与えられたと知ったら、どう思ったでしょうかね?

天平の仏像に親しんだ慶派の人間としては、許せない気持ちがあったのかどうか・・・・気になるところです。


ちなみに、お寺の住職に聞いてみたら「運慶というより、快慶の作風に近い」とおっしゃっておりました。

確かに運慶の作なら、もうちょっと逞しく表情も引き締まって、いかにも武家好みな風体になっているような気がします。

快慶の作風は、肉体美がありつつも、繊細で優美。
平家の貴公子に与えるなら、快慶作の方がハマり役だーね。

まぁ、日記のネタとしては「慶派」の作ってことで、一緒一緒・・・・ということでw



余談、その1。

京に身柄を引き渡されるまでの重衡の様子については、『平家物語』に詳しいです。

身柄を預けた後、頼朝が侍女を1人、重衡をもてなすために差し向けます。
この女性こそが、「千手の前」。

ワタクシ、ずっと「ちずのまえ」と読んでいたのですが、「せんずのまえ」が正しいみたい(教恩寺の住職さんが、そう呼んでおられましたので・・・・)

十分に気を配られて世話を受けているものの、囚人の身となった重衡。
その鬱々とした心を慰めるため、頼朝の命令で、ささやかな酒宴が開かれることになりました。

千手は琵琶と琴を持ち込んで、重衡を接待します。

しかし、明日をも知れぬ我が身を嘆いて、陽気にはなれない重衡。
愛想笑いや、挨拶代わりの微笑を浮かべる程度しかできません。

千手は酌をし、重衡に求められるままに歌を詠い、舞いを舞って慰めようと努めます。

「羅綺の重衣たる、情なきことを綺婦に妬む」という菅原道真の詩を歌うと、

「北野天神は、この朗詠をする人を1日3度守るとお誓いなさったそうだ。しかし、もはや世の中に見捨てられた我が身は、救ってくださらぬだろうな・・・・」

それを聞いた千手は、「十悪と言えども引摂す」「極楽願わん人はみな弥陀の名号唱うべし」という、流行のヒットソング(今様)を披露。

阿弥陀の名を唱えれば、どんな悪人でも救われると歌って、大罪に苦しむ重衡を慰めたわけです。

(そうだな・・・・その通りだ。ここで嘆いていても、仕方あるまい)

ようやく、重衡にもこの宴を楽しもうという気が出てきて、千手が“五常楽(ごじょうらく)”という曲をつま弾くと、

「私にとっては“後生楽(ごしょうらく)”だな。これから“往生”を急がないとだから、“皇章急(おうじょうきゅう)”でも奏でてみるか」

と、自ら雅楽を奏でたり、千手に何度も曲をリクエストしたり・・・・と、夜が更けるまで楽しんだといいます。


以上が、「南都焼き討ち」という事件の結末に至る、一輪の花のような華やかなシーン。

この宴が催されたのが、他ならぬ「教恩寺」らしいです。

「へぇ、ここで!」と、それをお寺の人に伺った時は感動しましたが、「教恩寺」は移転してきたお寺。

移転する前の「教恩寺」が、その現場なのか?
「教恩寺」が移転する前に、ここにあった建物が、その現場なのか?
今になって思うと、その辺も尋ねておけばよかった(^^;


ちなみに、千手は重衡に叶わぬ恋をしていたみたい。

没落し、処刑を待つだけの憂いを秘めた若武者の表情と、雅やかな貴公子という雰囲気が、千手に恋心を抱かせたんでしょうかね。

重衡の刑死を知った後は、善光寺で尼となって菩提を弔った・・・・なんて伝承が残っているみたいです。



余談、その2。


『歴史秘話ヒストリア』では、仏像の変遷についても取り上げられていました。

コストのかかる銅像・塑像・乾漆像から、安価で手軽な木像へ。
1人でこさえる一木造から、役割分担で大量生産ができる寄木造へ。

という「産業革命」方面での紹介がメインで、「表現革命」については大幅に省略されていました。

「飛鳥仏(法隆寺・釈迦如来三尊像)」と「天平仏(興福寺・阿修羅像)」の間には「白鳳仏」があるんですが、あっさりカット。

「飛鳥仏」の所で「一般人はおろか僧侶も見ることはできなかった」と紹介されてましたが、その理由で生じる特徴についての紹介はナシ。

「北魏風」とか「唐風」とか「南宋風」とか、表現に影響を与えた海外の仏像の姿についてもお預け。

かなりざっくりだなーという印象でした。まぁ、別にいいけどさ・・・・。



余談、その3。


ほとんど関係ない話ですけど、こんなニュースがありました。

<竹島>領有権主張中止署名の土肥氏 衆院政倫審会長を辞任
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20110310-OYT1T00967.htm

重衡が鎌倉に移送される前、京都で預けられていたのが、「土肥実平」という武士の家でした。

土肥つながりw

土肥っていうと、実平しか知らないので・・・・それ以上の意味はないです。(笑)

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