区切れない1年目
今日は、あの東日本大震災からちょうど1年の日。
瓦礫の処理も、復興の目処も、原発事故の終息も、まったく見えてこないので、区切りと言う感じが全くしません。
テレビは盛んに、区切りにしようとこじつけて視聴率稼ぎしてましたけどね。
ワタクシは私用で新潟市のほうに行っていたんで、昼間のテレビは見てないんですが、その帰り道にTSUTAYAに寄ったら、ものすごい混雑振りでした。
「今日何があったの?」と開いた口が塞がらないほど。
これ、もしかしてテレビつまんないからレンタルに来た・・・・とかいうヤツでしょうか?(笑)
今日は、あの東日本大震災からちょうど1年の日。
あの大震災以来、日本の国民性が変わったような気がします。
どう変わったかと問われたら、具体的には挙げられないですが・・・・・。
本気でチャラチャラしている人が見かけられなくなったというか?
「そんな場合じゃないだろ」っていう意識が、どこか目覚めたような感じがしています。
そういう面では、テレビのタレントは、明らかに変わりましたね。
震災直後、仕事が全くなくなって、
「タレントって何だろう」
「テレビ番組って何だろう」
「自分たちは必要とされていないのでは」
と考えさせられたタレントが多かったらしく、そんな話をよく聞きました。
事実、去年の夏頃からは喪明けを待っていたかのように、チャリティライブのニュースをよく見かけましたね。
あと、バラエティでも、以前のような無意味で面白くもない、むしろ腹立たしいだけの悪ふざけが、劇的に減っているように思います。
・・・・震災前と比べて、タレントの元気がなくなった、というか、どこか陰を帯びてしまった、とも見えますけどね。まぁ、穿った見方ですけども。
国民性の変化に、元気のなさもあるのかなぁ。
大震災のあの時、東北を助けたいけど、何もできないって言う無力感、確かにありました。
それでも、「せめてもの気持ち」を届けたいと、新潟市の陸上競技場まで「支援物資の募集」に応じるため行ったりしました。
無力感を塗りつぶすための足掻きだと分かっていながら、でもじっとしてられなかったのでした。
何を送ったら喜ばれそうか色々と調べて、サランラップとティッシュと水のいらないシャンプーと女性用生理用品があると有難いらしいと結論付けて、同志の何人かと相談してかき集めて持って行きました。
あの時は、すさまじい渋滞だった。
ワタクシは善意ってあんまり信じてなかったというか、半分はキレイゴトでできてるよって思っていたんですけど、その考え方を少し変えられた、そんな渋滞でした。
「せめてもの気持ち」っていうのがね。あるんだなって、改めて。
変えられたと言えば、福島の方の知人が、あの日以来ガソリンを満タンにしないと、どこか不安な気持ちを覚えてしまうようになったそうな。
ガソリン不足、深刻だったもんね・・・・。
あと、いつでも持って逃げれるように荷物をまとめているとか、食料を備蓄しているとか、小物(懐中電灯、ホイッスル、方位磁針など)を常備するようになったとか、色々と習慣が変わったという人がおります。
自分は、何か習慣、変わったかなぁ。
節電も備蓄も小物常備も、元々していたしねぇ。
以前の3倍くらいの頻度で上書き保存するようになった、くらいかな(笑)
あ、震度3くらいじゃ驚かなくなりましたね。
落ち着きがあっていいことなのか、もう少し慌てろよってことなのか、分かりませんけども。
それから、地震に敏感になったような気がします。
震度1くらいでも、「あれ、揺れてる?」とか気が付いて、テレビで地震速報→「やっぱ震度1だった」ってのがパターン化してます。
まぁ、「気づくようになった」のではなく「地震の頻度が増えた」ってことなんでしょうけども。
我が家の習慣では、高いところにモノを置かなくなりました。
珍しくこの習慣は続いてますが、たぶん「高いところにモノを置くのを忘れてる」という感じがしなくもありません(笑)
今日は、あの東日本大震災からちょうど1年の日。
冒頭で触れましたが、テレビでは「区切りの日」にするべく、どの局回しても同じような「震災特集」が組まれていたそうです。
ワタクシは「鉄腕DASH」しか見てないんですけど、「悲しい話」「いい話」「可哀想な話」で、もちきりだったとか。
「泣かせよう」という意図しか見えなくて、食傷気味だった・・・・とのこと。
ああ、そんな安易な制作では、流れた涙もテレビ見ている間に乾いちゃうわね。
政治家は復興や片付けの目論見を言えず、テレビ局も建設的なことは言えない。
「権力者」たる政治家も官僚も、「第三の権力者」たるメディアも、みんな暗中模索中・・・・って感じですかねぇ。
ああ、なんだかテレビに対して辛口になってますけど、別に「鬱陶しいからやるな」とか、そういうつもりはありません。念のため。
こういう記録映像を見ることで「忘れない」「伝える」「考える」「想う」という時間を作るのも、必要なことだと思いますから。
たぶん、いまだに「絆」という言葉が好きになれない、それとリンクしちゃっているのかもしれません。
■御神体と絆創膏
http://baron-baron.cocolog-nifty.com/blog/2011/12/post-e8d3.html
忘れない・・・・これが大事。
人間が無力だったこと、幸せが脆いこと、普通の生活が有難いこと、人間が温かいこと。
政治がダメだと安全がおぼつかないこと、高給取りの東電幹部や天下り官庁はロクに仕事をしないこと。
みんな想い、悩み、苦しみ、頑張り、祈ったこと。
平気で忘れてしまう人間が一番怖いから。
合掌。
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