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2012年3月30日 (金)

ケイズセイサクノ日々

職場の友人に頼まれて、大河ドラマ「平清盛」に関係しそうな系図を作っておりました。

「歴史は地図と年表があるとイメージしやすい。飛鳥・奈良・平安は系図もあるといいね」というような会話からの流れで頼まれたのです。

きのう14枚ほど完成したので、プリントして渡してみたら「おお、すげー!」とお褒めの言葉を頂けました。

本から画像ソフトに書き写すだけの作業ですが、構図とか色々と苦労もあったので、もっと褒めてもいいぞよ(何)


せっかくなので、装飾と彩色を施して、blogにもアップしてみようという魂胆が、今日の日記です。

「平清盛」を視聴されている方は、気が向かれたら参考になさってみてくださいませ。

歴史はイメージさえ掴めれば、こっちのもんですよー。



ついでなんで、かるーく解説もつけちゃいます。

(赤い枠の名前は、今年の大河に出ている、あるいは出てきそうな注目株の人物です)


■藤原氏略系図

Photo_5

今週の放送で亡くなった「待賢門院璋子」サマと、「美福門院得子」サマの関係が分かるかなーという系図。

ドラマで名乗ったかどうか忘れましたが、実はお二人とも藤原氏。
藤原璋子サマと藤原得子サマなのですねー。

璋子サマの父(公実)と得子サマの祖父(顕実)が兄弟という、意外と近い関係。
鳥羽天皇の母も親戚筋で、璋子サマにとっては従兄弟にあたります。

藤原氏といっても摂関家とは違う傍系で、「望月の歌」で有名な御堂関白「藤原道長」の叔父の系統に列なります。

(ちなみに「鳥羽天皇の母は摂関家の娘じゃないの?」と思われた方。鋭い!このあたりにも、一時は「この世は望月の欠けたところもないようだよ」と詠うほど栄華を極めた摂関家が、この頃はもうボロボロだったのが伺えますね)


ついでに、先週の放送で亡くなった清盛の最初の妻・明子の系図(高階家)も載せました。

舅殿(高階基章)が「祖父の系統を辿れば紫式部にも繋がる」と言っていた通り、先祖には「源氏物語」で有名な紫式部がおります。

紫式部の旦那は、親子ほども年齢の離れた中年男・宣孝で、紫式部と結ばれる前に何人か子供がおりました。

そのうちの1人が、待賢門院璋子サマの母方の祖先となっています。


■桓武平氏略図

Photo_6

平安京遷都を行った桓武天皇の、何番目かの皇子・葛原親王の子が、平氏の姓を賜って臣籍に下ったのが「桓武平氏」の一派です。

このうち、高望王は肥沃な関東に下って統治する道を選び、「坂東平氏」の祖となります。

高棟王は京から離れず中央政権に残り、公家平氏(堂上平氏)と呼ばれる一族の祖となります。
今週の放送で登場した、清盛の正室・平時子(二位尼)の実家は、この公家平氏の出身です。同じ平氏でも、だいぶ遠い親戚です。


坂東に根を張った平氏は、平安時代の前期~中期頃にかけて「平将門の乱」と「平忠常の乱」という、大きな戦乱を起こしています。

将門のほうは平氏が一丸となって討伐し、早くに決着がつきましたが、忠常のほうは失敗。戦乱が長引いてしまいました。

すると中央から源氏が派遣され、ようやく乱は鎮圧。これを機に源氏が坂東で幅を利かせるようになっていきます。

そんな「源氏の我が物顔」がイヤになった平氏の一派が、伊勢國に流れて根を張り、伊勢平氏(つまり清盛たち一族)の祖先となった・・・・と言われているみたいです。

清盛たちは、平氏の傍系であるばかりか、坂東から逃げ出した一族でもあるわけで、藤原氏どころか同族(坂東平氏)からも低く見られていたのではなかろうかと、ワタクシは想像しています。

この点、武家政権を樹立させる意味においては、祖先が築いた名声と父(義朝)が築いた坂東の地盤を背負ってスタートできた頼朝と比べると、忠盛・清盛親子には大きなハンデがあった・・・・というのが、マイ平家パワーバランス論です。


ところで、この平安時代末期を彩った武家同士の争いって、「源氏vs平氏」の戦いだと思ってません?

よく「源平合戦」と言われるし、最終対決が「源頼朝vs平宗盛」だったので間違いとは言い切れないんですが、桓武平氏の系図を見ると、頼朝の側について戦った人たちが目につくかと思います。

源頼朝の舅・北条時政。頼朝側のナンバー2・平広常(上総介広常)。義経と口論した梶原景時。平敦盛を討った熊谷直実。etc・・・・。

「源平合戦」は、実質上は「坂東平氏」と「伊勢平氏」の戦い、つまり「平平合戦」だった・・・・と考えてみると、流謫の身である頼朝が「奢れる平家」を相手になぜ戦えたのか?坂東の武士たちはなぜ平家の元に集わなかったのか?鎌倉幕府の源氏公方が三代で滅びてしまったのはなぜか?のあたりが、見えてくるんじゃないかなーと思ったりします。

(余談ですが、忠常の子孫・平常兼を千葉県の方は注目!そう、この人こそ千葉氏の初代。千葉サンは坂東平氏だったんですねー)



■熊野別当略系図

Photo_7

源平合戦は「壇ノ浦の戦い」と呼ばれる水上戦が最終決戦となりました。

ここで、源氏勝利・平家滅亡の命運を分けた最大の要因が、「熊野水軍の源氏側への加担」です。
なんせ、源氏は騎馬戦は得意なものの水上戦はからっきし、というか水軍を持ってなかった(!)のですから。

清盛は、弟・忠度が熊野と密接な関係にあり、清盛自身も何度も熊野へ足を運んだり、弟・頼盛が熊野を知行地としていたりと、平家と熊野との繋がりは強いものだったようです。

そんなんだったら、なんで最後は見限られて源氏に取られたのか?
・・・・というと、実は熊野は源氏とも繋がりがあったから。何の不思議もないです(たぶん)

源義朝の父・為義は、熊野別当・長快の娘とむすばれ、義盛を生んでいます(義盛は十男なので、長男・義朝から見ると異母弟)。
また、その姉(妹?)は湛快の元に嫁ぎ、湛増を生んでいます(源平合戦時の熊野別当)

源平合戦は後白河帝の息子・以仁王(もちひとおう)の挙兵によって火蓋が切って落とされるのですが、以仁王の「平家を追討せよ!」の令旨を全国各地に運んだのが、この義盛(名前を変えて源行家。またの名を新宮十郎)でした。

このあたりの話は、実は美福門院も関わってきてフクザツなので今日は語りませんが、熊野水軍が源氏に向背したのは、熊野と密接な関係を持つ彼の働きかけもあったのだろうと考えられています。


ちなみに、熊野別当・湛増の息子に、「武蔵坊弁慶」がいるという説があります。

大河ドラマがこの説を採るかどうかは分かりませんが、源平合戦の天才戦術家にしてチート武将・源義経を追いかけるときは、このあたりの背景も覚えておくと楽しいかもしれませんね。


■平家略系図

Photo_8

ややネタバレになってしまいますが、清盛の親世代、兄弟、子供世代、孫世代をまとめてみました。

ついでなんで、“滅びの序曲”「一ノ谷の戦い」、“フィナーレ”「壇ノ浦の戦い」で終了してしまった人(「戦死」ではありません。「生け捕り」なんかもあるので)と、源平合戦前に死没した人を色で表わしてみました。

どうですか。一ノ谷と壇ノ浦で終わってしまった人の、多いこと多いこと・・・・。

“源平合戦のターニングポイント”「屋島の戦い」は、平家方の戦死者が特に見つからなかったので、省いています。誰かヤラレチャッていたかなぁ・・・・?

白いボックスは「生き残った」という意味ではなく、その2つの戦いで終わった人ではないという意味です。

清盛の息子・平知度は「一ノ谷の戦い」よりも前の「倶梨伽羅峠の戦い(vs 木曽義仲)」で戦死しました。

平重盛の息子である維盛と清経は、ともに入水自殺を遂げています。

平知盛の息子・知忠は、源平合戦を生き残った後、頼朝の縁者を暗殺しようとして失敗し殺されてしまいました。

まともに生き残ったのは、今週の放送で元服した清盛の弟・頼盛の一家と、幼かった知盛の子・知宗くらい。

「平治の乱」で源義朝が惨敗すると、当時13歳だった息子の頼朝は平家に捕えられてしまうのですが、この時に池禅尼(清盛の継母)が「亡くなった息子(家盛)にそっくりだから・・・・」と清盛に助命嘆願したことで、処刑されずに伊豆への流刑となったのは有名な話。

頼朝はこの助命嘆願してくれた恩を忘れなかったようで、池禅尼の子である頼盛一家は、平家一門にも関わらず厚遇されました。

源平合戦よりはるか前に亡くなった家盛、源氏の客分として鎌倉時代を迎えた頼盛一家、そしてその実の母・池禅尼。

そのあたりも、系図を見るとよく分かりますねー。



かるーく解説するつもりが、なんだか長ったらしくなってしまいました・・・・。

いや、これでも随分と簡潔にしてるんですがね。

系図の紹介は、今日はここまで。

残りについては、もしかしたらオタノシミニ。

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